OLDIES COLUMN

サウンドは再生できません <BR> <A HREF="./OldiesColumn.html">もどる</A>
2004/03/26 「学生時代の想い出」(1)
 どうも、テーマを決めたページの作成っていうのは、なかなか記憶だけでは書けないし、特に最も得意とするSurfin' & Hot Rodに関しては、書くことが多すぎて逆に停滞してます。そこで、フト想い出したことなどをとりとめもなく書き綴っておくために、こんなページを設けてみました。

 最近車で出かけていてFMをかけていると、決まって聞えてくるのが「山下達郎」のオールディーズ系の番組。彼を想い出すたび、学生時代を想い出します。それは、次のような連想によるものです。
 山下達郎→大瀧詠一、ここまでは普通、この後は、湯村輝彦(大瀧詠一のアルバムのイラストを書いていた)→横山千秋君という湯村氏の友人と続きます。横山君(以下、彼)は私よりも一歳位くらい年上の人でした。彼とは学生時代に運送関係のバイト先で知り合い、自宅に遊びに行ったことがありました。
 なぜか? 当時私はトラックの助手、彼は運転手という立場でした。助手の私が組む運転手は、よく替わります。何人かの運転手とコンビで仕事をしていて、実に様々な経験をしたものですが、それはおいといて、彼とコンビになりしばらく一緒に仕事をしていたとき趣味の話になり、あまりオールディーズのことは他人には話さないようにしていた私ですが、なぜかその話をしました。そうすると、何と彼も好きでレコードを少し持っていると言ったのです。
 どんなものを持っているかと聞くと、おもむろに彼は「Jack ScottCry, Cry, Cry(日本盤)など」(!!)と言ったのでした。当時('70)は学生運動華やかなりし頃で、日本でオールディーズという言葉を理解できる人は、全国でも一握りしかいませんでした。その時代に、日本盤の中でも極めてレアなものを持っているなんて、思わず「ホントですか!!」と叫んだのでした。
2004/03/29 「学生時代の想い出」(2)
 私は硬派の人間で、女性には目もくれず、ひたすらバイト代をレコード購入につぎ込んでました。だから常に貧乏で、この頃大学生でしたが、着るものは学生服でした。もっとも、着るものに関しては、後で反動が来ましたが......。
 彼の家に遊びに行ったときも、学生服を着ていきました。このとき偶然、湯村氏が遊びに来て紹介されました。何を話したかは覚えていませんが、湯村氏の奥さんが女優の「鮎川いずみ」であることを知り、またまたビックリしました。しかも、なんだったか忘れましたが、用事を頼まれ外の車で待っている彼女に伝言をしに行き、車の窓越しに話をしました。
 女優などという代物とこんなに身近に、しかも話をするなんて、後にも先にもこの時だけの経験でした。主にTVで見る彼女はなかなかにキレイな人でしたが、実物はそれこそぶっ飛ぶ位にキレイな人でした。忘れられない想い出ですね。
 東京に住んでいて、街の中とかで芸能人と接触したことは数回はありましたね。覚えているのは、水野久美とか、日野てる子(だったか)、浜美枝など。現在の横浜では、TVの撮影現場に偶然出くわす位で、街の中で会ったことはほとんどないです。やはり、東京は違うなあという印象でしたね。
 さて、問題のレコードCry, Cry, Cryは、残念ながらジャケットはなく、状態もそれほどいいものとはいえませんでしたが、実物を見せてもらい大感激したのでした。あまりの感激のせいか、この貴重なものを彼は私にくれたのでした。今でも、大事に持っていますよ。
 この曲は、数多いJack Scottの曲の中で、日本ではダントツに人気が高い曲です。しかし、どういう訳か本国ではヒットしていないのだから、アメリカという国は不思議な国です。日本で大ヒットした、Johnny DeerfieldLonely Soldier Boyもマイナーヒットで終わっているし、The VelvetsLanaもヒットしてませんものね。
 彼と会ったのはバイトをしていた頃だけで、その後どうしたかは分かりません。年をとった今、その頃会った人たちのことが想い出され、どうしているんだろうなあと、時々思いますね。もし、私のページを偶然見たりして、連絡がくるなんてことがあったら、素敵だろうなあ。
2004/04/02 「追悼!! Jan Berry」
 Jan & DeanJan Berryが亡くなってしまいました。最近健康がすぐれないとの噂は耳にしていましたが、BBSでお知らせしたとおりです。死因は明らかにされていないとのことですが、発作を起こしたこと、最近の公式Web Siteに載っている近影では、見る影もなく肥ってしまっていることから、恐らく心臓病でしょう。
 もう62歳になってるし、現代人として死ぬには早いとは思いますが、なにせ自分の健康がすぐれないため、自分より年上の人が死んでも仕方ないなという気が最近はしています。
 かつてのOLDIES STARも軒並み60歳を超えてしまっていますから、いつ死んでもおかしくないし、まだまだ現役でいられることもあるでしょう。でも、あとそんなに永くはないなというのが正直なところの感想です。ものすごく悲しいことには違いないのですが、仕方がないなと思うことが最近は多くなりました。年のせいでしょうね。
 ここでフト思ったのが、'63にJohnny Cymbalが歌ったTeenage Heavenのことです。この時にはすでに死亡していたBuddy HollyEddie Cocran,Ritchie Valensなども含め、現役のアーティストも確実に死亡しているだあろう100年後のことを歌ったものでした。全員が天国で、OLDIESを演奏しているのです。私も天国へ行ったら、かつてのOLDIES STARたちに会えるのかなあなんて思ってしまいました。
 Jan Berryは、ヴィエトナム戦争の被害者でもあります。'80代に彼らの伝記映画が制作され、日本でもVideoが発売されたくらいですから、そこそこの人気はありましたが、本国では大スターの一人に入っていたのです。その彼がなぜヴィエトナム戦争へ狩り出されなければならなかったのか? そこはかとなく、陰謀の臭いがします。しかし、関係当局に呼び出され、その通告を受けた直後の交通事故で、一時は生命の危機に瀕していましたが、奇跡的に復活を果たしたものの、その後二度と第一線で大活躍することはできなかったのでした。また、その陰謀もうやむやになってしまったのでしょうか、詳しいことは分かりません。
 身体の不自由さからか運動不足で、少しずつ肥ってしまい、健康を損ねることになったのでしょう。そんな彼をあんまり見たくはない、しかし生きていてさえいてくれれば......。亡くなったのは現地の日で3月26日のことでした。偶然にも、このときMXでBatman関係の曲がDLでき、発表済みのなかではピカイチのできのRobin The Boy Wonderを久しぶりで何度も聴いていたのです。まさか、このときに亡くなっていようなどとは夢にも思いませんでした。なにか因縁めいたものを感じます。
 最近日本でも、ドリフのいかりやさんが亡くなったり、下川達平さんや、中谷一郎さんも亡くなりました。いずれも、72、3歳でした。男性は70歳代の死亡率が高く、これを超えると90歳代まで生き残れる確率が上がるようです。元気で90歳まで生きれるとしたら、あと35年も生きられます。そうなりたいかどうか、今は考えられません。
 今後しばらくOLDIESの記事が書けるかどうか....それほどにもJan Berryの死はショックな出来事です。なにせ、私の青春とともにあった人なのですから......。
2004/04/24 「悲しみを乗り越えて」
 悲しみを乗り越えるにはどうすればいいか? やっぱり自分が好きなことに没頭することでしょうか。しかし、OLDIESを聴くとJan Berryのことがすぐ目に浮かんでしまい、悲しくなります。いったいどうすれば....。
 そこで逆療法というのを試してみました。あえてJan & Deanを聴くということを...。そこで私の心の中に浮かんだことは、彼に対する果てしない感謝の気持ちでした。
 永い永い、人類の歴史の中で、ほぼ同じ時期を共に生きてくれた人たち。その人たちに感謝したいという気持ちです。特にJan & Deanは私の生き甲斐でもあり、つまり、生きる目的を与えてくれたわけですから、ひたすら悲しんでいるだけでは、この世に残った者として、あの世の彼に申し訳ない。残された人生を精一杯生きることが、死んでいった人たちに報いる唯一の方法ではないでしょうか? 「これまでありがとう、僕はまだまだがんばるよ、君の分までね。いずれまた会おうね!!」
 今日は、そんな気持ちでの再出発です。テーマは、OLDIESにおける女の子の名前です。
 たくさんの名前が歌われたり、タイトルになったりしました。音楽の全体的なテーマは愛=Loveですから、恋に関する内容が圧倒的に多いのは、これこそが人間の永遠のテーマでもあるからです。ダンスミュージックですら、結局恋人とダンスをする、あるいはしたいということを内容としています。ですから、女の子がそのまま題材とされた曲はかなりの数に上ります。
 私が好きな名前はLindaなんですが、これはそのままズバリの曲をJan & Deanがヒットさせています。OLDIESの名曲中の名曲である、DionRunaround SueのSueちゃんもよく出てくる名前です。
 ところで、わたしが愛用している英和辞典は、小学館発行の「プログレッシブ英和中辞典」('82発行)ですが、この辞書をなぜ使い始めたかについては、ある重要な理由がありました。それは、日本で手に入るSurfin' & Hot Rodのスラングが最も多く載っている辞書ということから、何種類かのキーワードを元に当時書店にあったほぼ総ての辞書の中から選択した物です。
 この辞書でSueを引くと、Susan, Susanna(h)の別称となっています。発音は記号を見ると、スーよりもどちらかといえば、シューに近い、あえて日本語表記するなら、スューになってしまいそうなので、一応スーと表記しましょう。
 Susanもよく使われてましたね。Susanna(h)はあまりいませんが、Susannah Yorkという女優がいました。Sueだと、歌手ではSue Thompsonがいましたね。そして、これによく似た名前で、スージーというのがあります。英語では、Susie, Suzie, Suzyと書くのですが、辞書にはSusieしか載っていません。正しくは、Susieなのでしょう。そして、これもSusannaの別称なのです。人の名前はよく別スペルで表されますから、違っても特に不思議ではありませんが、このスペルは時代と共に変化していったのです。
 OLDIESとして古いのは、Bobby Vee & The ShadowsSusie Babyでメジャーデビューする前の作品('58)、ほかにRobin LukeSusie Darlin'Dale HawkinsSusie-Qあたりが有名、その後、Suzie,Suzyに変化したThe TokensLittle Hot Rod SuzieJohnny BurnetteSweet SuzieDean & JeanTra La La La Suzy('63)とスペられておりました。
 最近入手したmp3ファイルでかなりできがよいのが、Susan WayneRidin' On A Rainbowという曲。女性歌手ですが、全くデータがありません。曲は、以前聴いたことがあるのですが、思い出せないのです。これはいいよ!!と文句なくいえる出来映えで、この名前から、フト連想して調べてみたことを今日は題材としてみました。
2004/05/05 「Jan & Dean Fan Clubのこと」
 '65頃、私より1から2歳年上の「間瀬幸夫」という人が、ガリ版刷りで会報を出していたことを想い出します。日本では、The Beach Boysに比較して圧倒的に人気のない彼等のことを題材にしたFan Clubで、会報を出すくらいで特別イベントなど何もなかったのですが、同載されていたBillboard Hot 100のデータ欲しさに会員になっていました。
 会費は、会報の送料に毛が生えた程度のものでした。本当に趣味でやってたんですね。'66にはJan Berryが交通事故に遭い活動が停止されてしまい、このクラブも自然消滅したように記憶しています。
 当時Billboard誌やCash Box誌のヒットチャートのデータは、レコード番号まで載っているものはありませんでしたから、本当に貴重でした。'65の終わり頃に日本で発刊されたTeen Beat誌は、データとしては初めて完璧なBillboard Hot 100が載った雑誌として大歓迎されました。それまで洋楽関係の雑誌は、古参のMusic Life誌だけで、チャートはずいぶん古くから載っていましたが、 レコード番号が載ってなかったんですよ。これは、大きな欠陥だったといえます、というかそこまで興味を持つ日本人がいなかったのかもしれませんが...。
 さて、自然消滅した後、間瀬幸夫氏の名前は、その後私がOLDIESにのめり込んでいった頃、二度と目にすることはありませんでした。恐らく、純然たるJan & Deanのファンであったということだけなのでしょう。それでも、創生期にあれだけの活動をした人です。その功績は、私としては高く評価しています。
 アーティストとして、私が最も好きなのはJan & Deanですが、曲としてはThe RivierasCalifornia Sunなんですよね。そう、私のURL名はここから来ています。インターネットに登録するときに、最初は私のハンドルネームであるベルモンツにしようとしたところ、すでに使用されていて、次の候補だったrivierasにしたのでした。
 次回は、Music Life誌やTeen Beat誌にまつわる想い出でも書いてみましょうか。
2004/08/11 「宮下静雄君のこと」(1)
 先日から少しずつレコードを引っ張り出しては、WAVファイル化をしています。その中に'78に日本でリリースされた、SONYが最も輝いていた頃のCBS/SONYからリリースされたSunshine Surfin' Soundという、2枚組のLPがあります。
 内容は、ColumbiaレーベルのS & H系アーティストをまとめたオムニバス(アメリカ風に言えばVarious Artists)で、Bruce & Terry,The Rip Chords,The Hot Doggersなどをまとめたものです。このライナーノートを書いていたのが、山下達郎と宮下君なんですね。
 山下達郎はこの中で、我誌Back To The Rockを紹介してくれており、最も精力的にS & Hの研究を載せている雑誌である、などと書いてくれておりました。山下氏覚えているかな?
 宮下君は、Back To The Rock誌最終号を見ると、1980/7/31に30才の若さでこの世を去っています。私が彼を知ったのは、'67〜'68頃のことだったと記憶しています。私が高校生の時、同級生に工藤裕明君というオールディーズが好きな友人がいました。彼と友人関係になったのが、そもそも私のオールディーズ人生の始まりでした。
 当初は私が持っていたMusic Life誌の文通希望者欄に載っていた人に、彼が手当たり次第手紙を出し、その中で返事をくれた人に大阪の堺市に住んでいた狭間裕志(字が違うかもしれませんが)という人物がいました。
 この人物は、レコード・セールスを個人的にやっていた人で、どうもコレクターではなかったみたいでしたが、珍しいレコードを高額で売ってくれましたね。その後この狭間という人とは、セールス関係で比較的長く付き合っていくことになります。
 そして、工藤君が出した手紙の返事をくれた人に、やはり大阪の宮下育浩君という人物がいました。この宮下君が後の宮下静雄君だったのです。
 宮下君は、幼少の頃病気をしたため、所謂身体が不自由な人でした。しかし、父親が大阪では有名な病院の経営者だったこともあり、私のような貧乏サラリーマンの息子というわけではなかったのです。財力に物を言わせ、珍しいレコードをドンドン日本に輸入していたのです。
 彼はあらゆる意味で、私にとってはライバルでした。彼はそんなこと露程も思っていなかったでしょうが、私は、乏しい生活の中から、食う物も食わずにレコードを買っていました。私が住んでいた秋田には中古レコード店がなく、古いレコードを手に入れるのは困難でした。
 たった一つ、よく出入りしていたレコード・ショップが、売れ残った物を返品せずに片隅においたままにしていたものが山とあり、その中から良さそうな物をボチボチと買うといったことが、古いレコードを集め始めた最初でした。
 とはいえ、いい物はあらかた買ってしまうともう残りはなくなります。そこで、秋田県内の各市を自転車でレコード店周りをしては、売れ残った物を買いあさったりしていました。
 (続く)
2004/08/28 「宮下静雄君のこと」(2)
 秋田県内の主なレコード店の売れ残り品で見つけた掘り出し物は、Dickey Lee が Smash から出したヒット曲の3枚や The Volumes の Teenage Paradise あたりだったと記憶してます。
 しかし、日本版だけではいい物に限界があるのは仕方がなく、何とか外盤を入手する方法を見つけなくてはいけませんでした。秋田では外盤を扱うお店はありませんでしたが、文通の相手を手当たり次第に探し始めた中で、東京にあるレコード店の山野楽器が葉書で申し込むと取り寄せてくれるとの情報があり、当時日本では出ていなかった The Rip Chords の2枚目のLPである Three Window Coupe をオーダーすることにしました。オーダーするには、アーティスト、タイトル、レーベル、レコードナンバーが必要でした。
 さて、困りました。レコードナンバーだけが分からず、オーダーできませんでした。そこで、宮下君にナンバーを教えて欲しいと手紙を書いたところ、早速返事が来て大感謝し、こんな情報を持っている彼のことを尊敬に値すると思っていました。
 当時のレコードナンバーには約束事があり、例えばモノラルのナンバーが分かればステレオのナンバーも公式により求めることができました。この公式があとで問題になるのですが、この時点で、私には何の情報もありませんでした。
 この頃は、S & H に関してはステレオ盤に限ると思ってましたから、迷うことなくステレオ盤のナンバーを書いてオーダーしたのでした。この後に、地獄が待っていようとは、露程も思っていませんでした。
 文通の相手とのトラブルも、この後次々に経験していくことになります。現代で言えば、電子メールや掲示板などでのトラブルに匹敵するものです。
 今から思うと、この各種のトラブルに遭遇し、それを乗り越えることによって、常識等も身に付いて大人になって来たんだなあと思いますね。
 この地獄というのは、結果からいうと宮下君が教えてくれたナンバーは間違っていたのでした。
 (続く)
2004/12/18 「宮下静雄君のこと」(3)
 宮下君が教えてくれたナンバーを元にオーダーしたところ、まもなく入荷の連絡が入りました。それにしても、レコード・ナンバーとアーティト及びタイトルが相違しているのに、山野楽器からはそのことについて何のコメントもありませんでした。
 小躍りして早速送金をし、郵送されてくるのを今か今かと待ち続け、ある日ついに到着したのでした。パッケージを開けるときの楽しみは最高潮達し、結構頑丈にできているのを開けるのがもどかしく感じられました。
 そして、問題のそのブツは姿を現しました。それは、まず一瞬覚えているジャケットと全く色が異なっていることに気づき、よく見る前に不吉な予感が走りました。案の定それはオーダーしたはずのThe Rip ChordsのLPなどではありませんでした。
 後にこのナンバー違いで入荷したもののアーティストは、ある分野ではかなり有名なアーティストのものなのだということを知りましたが、その分野は当時の私にとって何の興味もない分野でしたし、比較的新しいアーティストでしたから、名前を知る由もありませんでした。
 その名前は、Thelonias Monk。そうですJazzのピアニストのLPだったのです。レコードナンバーは、Columbia CS 8816、The Rip Chordsの方は正しくは、CS 9016でした。彼が教えてくれたナンバーは、CL 2216/CS 8816だったのです。モノラルは間違ってはいませんでした。
 このナンバーの構成をみると、正しい数字の差は6800です。例えば当時のLibertyレーベルはもっとわかりやすく、LRP 3***/LST 7***となっており、どちらかのナンバーが分かれば、1000の桁をそのまま置き換えれば良かったのですが、Columiaレーベルはどういう訳か100の桁まで違っており、彼はその置き換えを恐らくモノラルを元にして行い、計算を間違えてしまったものなのでしょう。
 彼は大金持ちの息子、私はしがない公務員の息子、経済的な大きな差があり、間違えたものが入荷したとしても彼にとってはさほど痛くもなかったと見えます。しかし、私のような貧乏人にとっては大きな痛手でした。案の定このことを彼に抗議したところ、その返事は何と歯牙にもかけないような態度でした。
 私は完全に頭に来て、もともと関西のなかでも最も汚いといわれる河内弁を使うこの友人の態度に我慢がならず、それまでうずいていた不満をありったけぶつけ、絶交を宣言したのでした。まだ20歳にもならない若いときのことです。
 (続く)
2005/09/13 「宮下静雄君のこと」(4)
 宮下君と絶交した私は、他の仲間を捜していくことになりました。工藤君はその後も宮下君と文通を継続していたらしく、彼から結構面白そうなレコードを譲ってもらったなどと言って、聴かせてくれたものです。
 私との関係を話したかどうかは忘れてしまいましたが、このような状況は決して好ましいとはいえませんでした。工藤君も私のような貧乏人とは少々異なった生活をしていたようでした。まっ、いっか、お金のある人が面白いものを買って聴かせてくれるんだから、よしとしなけりゃな...と思い直し、徐々に貴重なOLDIESに触れる機会が増えてくることを内心では喜んでいたのです。
 工藤君との付き合いの親密度が増したのは、私が大きな病気にかかってしまってからでした。私はこれまで大きな病気に3回罹っています。いずれも生命の危険があるものでした。それを意識したりするには若すぎて、当時はそれほどのものとは思っていませんでしたが、後からそのことを親から聞いて、オレは一度死んだ人間なのかもしれないと思ったものです。
 3回目の大病は、私の人生をすっかり狂わしてしまいました。3か月の入院を余儀なくされ、学業の方は以後さっぱりダメになっていったのでした。このとき、病院へ工藤君が見舞いに来てくれて、新しいレコードを買いに行ってくれたりしたことを非常に嬉しく思っていました。
 買ってもらったのは、Ritchie CordellRaindropsだったことを今でも覚えています。これは'66にキング・レコードSeven Seasレーベル経由でリリースされたものでした。
 なぜ当時こんな無名の、しかも聴いたこともないものを買ったかと言えば、病院で聴いたラジオの音楽番組で同名の曲がかかり、それが非常に良かったので、多分これではないかと山を張って買ったものでした。山ははずれましたが、これはこれで非常にいい曲でした。
 後で分かったことでしたが、ラジオでかかったのは、何と曲名ではなくて、The Raindropsというグループ名だったのですけどね。この曲名は、ず〜っと分からないままでしたね。
 その後、何とか学校(高校)の単位を補講で取得し、3年生へ進級しましたが、ついにもとの学力が戻ることはありませんでした。大学受験にも失敗し、予備校に通うため私は東京に住む伯母を頼って上京することになります。
 上京後、池袋にしばらく住んだ後、大田区の平和島の近くに4年ほど住むことになり、この4年間に宮下君との関係は自然に修復されていくことになります。きっかけは忘れてしまいましたけどね。
2006/02/16 久しぶりのネタ、Sam Cooke
 久しぶりのネタを提供してくれたのは、このサイトほぼ唯一のOLDIES FAN エルヴィスこたろうさん、今、Sam CookeTeenage Sonata にはまっているとか。
 はて、この曲は Sam の作品としては、さほど重要な地位を占めるものではありません。ただし、彼がヒットを連発していた Keen レーベルから、メジャーの RCA Victor へ移籍後初めて放ったヒットで、タイトルから日本人好みの作品として知られているものです。
 ところが、どういう訳か碌に聴いた記憶がないんですね。そこで、PC に保存されているものを検索してみました。何と、音源は持ってるじゃないですか!!それなのになぜ記憶がないんでしょう??
 それで、聴いてみましたよ。なるほど、日本人好みのセンチメンタルなバラード作品なのでした。タイトルからも、Teen Pop に分類できるのかもしれませんが......。残念ながら、検索で検出された他の作品、Having A Party を何度も聴いている始末です。

 ヒット・データ:
 Teenage Sonata ( RCA Victor 7701 ), Billboard Peak #50, Date:03/14/60, b/w If You Were The Only Girl
 Having A Party ( RCA Victor 8036 ), Billboard Peak #17, Date:05/26/62,
    b/w Bring It On Home To Me, Billboard Peak #13, Date:06/23/62

2006/03/01 オールディーズ・ファンに大騒動を巻き起こした荒井由実
 先日ドライブ中にカー・ラジオから流れてきた、荒井由実の「ルージュの伝言」。一体何年ぶりに聴いただろうか?
 リリースは'75年2月20日とあるので、ちょうどBack To The Rockも順調に版を重ねていた頃のことです。仲間内でこの曲は大騒動を巻き起こしたのです。メロディーラインは当然としても、バックコーラスがThe Beach Boys並の裏声の入ったコーラスというシャレたアレンジで、大人気となったのでした。
 尤も、オールディーズとしての荒井由実はこれ1曲で終わりましたけどね。しかし、数少ない日本人のオリジナル・オールディーズとして、永遠の輝きをこの曲は持っているのだなあと改めて感じましたね。
 久しぶりで、アドレナリンが体中に流れ込んだような気分になりました。シングル盤は持っているので、そのうち出してきてPCにWAVファイル化しようと考えているところです。
 アレンジによって、曲はどうにでも変わるものですが、この曲を変にフォーク調にしなかったことに好感を覚えました。スタンダードの曲でさえも、アレンジ次第でオールディーズに変わりますからね。
 彼女自体は、声もハスキーで顔も可愛いとは言い難く、オールディーズ向きのアーティストではなかったと思っています。このシングル盤の写真で見る限りでは、単なるアイドルではなく、大人っぽい魅力を持った女性と見受けられましたが、所謂ガール・ポップを連発する背景にはなかったのでしょう。
 せめてもう1曲くらい、オールディーズっぽさを持った曲を発表していてくれたらと思うと残念ですね。その感性が素晴らしいので、なおさらでした。
2006/06/29 オールディーズ・ファン2
 最近設置したFilistryによる総インデックスを整理しながら、普段はあまり読むこともない過去の記事を読んでいて、ふと専用の別ページに掲載しているオールディーズ・ファンについて、続編を書いてみる気になりました。
 というのも、この専用ページではオールディーズ・ファンの年齢について書いていますが、同級生だった渡辺君のことを思い出したからです。彼は所謂オールディーズ・ファンではなく、レコード・ファンだったと言うことができます。そして、それ以上に好きだったのがオーディオだった訳です。
 オーディオが好きならば、当然レコードも好きになるのですが、それがエスカレートしていくと、曲そのものよりも音質を追求していくことになります。彼は元々 Elvis Presley のファンだったのですが、The Beatles が登場すると鞍替えしています。まあ言ってみればミーハーだった訳で、要するに流行物を追っていたのですね。このような性格の人たちは、OLDIESから平気でロックに鞍替えしたりします。従って、別ページに掲載した定義付けみたいなものは、この種の人達には当てはまらないことになります。
 尤も彼は、その後音質追求の方向へ行き、The Beatles の後は Jazz や Classic を主に聴くようになります。これも、定番の流れなんですね。
 今では私も、 Jazz や Classic を聴いたりもしますが、あくまでメインは OLDIES なんです。やっぱり、Jazz や Classic をメインには一生できませんよ。人生の半ばを過ぎても、結局好きなのは OLDIES なのでした。
 さて、話はとりとめもないですが、先日久しぶりで再会した宇賀田君との話の中で、「オールディーズ・ファンの血液型分類」というのが面白かったですね。この血液型は経験則上の統計みたいなもので、科学的根拠はあまりないですが、不思議と現実に合致していることが多々あります。
 彼の経験によれば、オールディーズ・ファンの血液型は、O型とA型が大半なのだそうです。しかし、私はO型ですが、郷里の秋田に住む工藤君はB型なんですね。B型のファンは、ひょっとしたら珍しいのかも知れませんが。ちなみに前出の渡辺君はAB型で、極めて優秀な人物でした。これもAB型特有のことで、昔からよく言う「天才か気違いか」に当てはまるのでした。宇賀田君はA型だそうです。統計を取ると面白いかも知れませんね。
 では、また。
2006/08/06 Rock54
 先日レコードの整理をしていたところ、以前書いたOLDIES人気投票が掲載されたヤマハのパンフレット"Rock54"が見つかりました。よくとっておいたものだと思います。スキャナーで取り込んでみましたので、ここにその証拠としてお見せすることにしました。
 生憎と私の本名と当時の住所等も載っていましたので、個人情報ということで抹消してありますが、他のメンバーはそのままにしておきます。誤字が多いですが、これはこの印刷物を作成した側の責任ですのでご容赦ください。
 一応、正誤表は次のとおりです。
 When We Gee Married→When We Get Married
 DEL-VIKINGS→DELL-VIKINGS
 I Forgot The Law→I Fought The Law
 That Was A Night→That Was The Time ( Cheer 1000 )
 You Don't Know What You've Got Uutil You Lose It→〜Until〜
 相木→柏木
 傑作なのは I Forgot The Law ですな。法律と闘ったのではなく、忘れてしまったんですから、こいつは笑えます。
 このパンフレットは当時、渋谷と銀座にあったヤマハが出していたもので、メンバーの浜田昭彦氏が友人の河村要助氏を通じて掲載が実現したものです。浜田氏は当時、「日本ロッカバラード研究会会長」を自称していました。もちろん会員は浜田氏ひとりだった訳ですが。
 メンバーには、今は亡き宮下静雄氏、プロの鈴木啓志氏や湯村輝彦氏などそうそうたるメンバーが揃っていました。

 ランキングのスクリーンショット
 Rock54のスクリーンショット

 掲載日は、1972年12月19日となっていますね。今から、34年も前の事でした。
 では、また。