Back To The Rock

2004/03/26 読者からのメール
 このページは昨年から、自前サーバーに載せていたものです。なかなか自前の方まで独自に更新することができないので、表ページに載せ替えすることとなったものです。とりあえず同じ記事を載せてから、続きを書き始めてみたいと思っています。書き始めたのは、2003/04/13からでした。

2003/04/13
 最近ある方からメールをいただきました。それは、何と私のページを検索で見つけたとのことだったのです。私のページは非公開にしているので、検索に引っかかったというのは意外でもあり、しかし、そのメールはいかにもインターネット特有の、偶然に満ちたものでした。
 偶然というのは、その方が、私がかつて発行していたOLDIES MAGAZINE「BACK TO THE ROCK 」の読者だったことです。お互いに顔も名前も、いやこの世に存在しているかどうかも知らない者同士が、何年もの歳月を経て、今ここに認識しあっているという状況は、偶然なのか必然なのか?
 このメールによって、一躍私の頭脳は一気に当時の想い出にタイムマシンしてしまいました。いずれは、このことを題材にした記事を書くつもりもありましたが、なかなかその気になれませんでした。しかし、これを機会にやってみようかなと思っています。
 さしあたっては、マガジンの表紙などをスキャンして載せてみようか、当時の記事をそっくり再現してみようか、などと考えています。私が連載していた「Long Live Surfin’ & Hot Rod」は今読んでも十分耐えられるものと自負もしています。
乞うご期待!!

2003/05/15
 「BACK TO THE ROCK 」の誌名は、ほぼ私が考え出したものです。トラブル(別ページに詳細)から再出発するにあたり、どうしても誌名の変更は必要でした。相棒の神谷氏といくつかの候補を出し合い、オールディーズっぽさを日本人にもわかるようにしながらも、なおかつカッコイイものを考える必要がありました。
 このときに出た他の候補名は忘れてしまいましたが、私が参考にしたのは Danny & The Juniors のヒット曲 "Back To The Hop" でした。このグループは "At The Hop" の大ヒットで知られる4人組ヴォーカル・グループで、その後もいくつかのヒットを出しますが、どうしても "At The Hop" ほどのヒットが出せないでいる中、夢よもう一度といった感じで昔へ戻ろうとこの曲を出したのだろうと思われました。
 このHopをRockに置き換えたらどうだろうかと思いつき、候補にあげたのでした。神谷氏はRockという語にどうも抵抗があるといってましたが、Rock'n'Rollとしたのでは、ゴロが悪く、オールディーズっぽさはBack Toで表現されていると私は主張しました。
 これに比較し、他の候補名はオールディーズの曲をそのまま使ったものが多く、オリジナリティーを表現するという意味で最適と考えられました。ただ、いかにも英語っぽい響きのため、口にすると幾分か恥ずかしさがありました。
 雑誌は、有名レコード店と交渉して販売の委託をし、友人や親戚に協力を依頼したりしながら、次の号を出すための資金を何とか確保し細々と続けられました。オールディーズという言葉が日本でも市民権を得るようになるのは、その大分後のことで映画「アメリカン・グラフィティー」が大ヒットを記録してからでした。
 私はペンネームとしてメインに最も好きな "Surfin' & Hot Rod" を記事にするに当たり、「速尾高志」と名乗ることにしました。この名前にもかなりの因縁があります。当時は左翼系学生が好んでいた作家に「埴谷雄高」というのがいて、「はにやゆたか」と読むのですが、この名前をどういう訳か「はやおたか」と呼んでしまっていたのでした。間違いを指摘され悔しくなり、何とかこの名前をいつか使ってやろうと思っていたので、この誤読に「し」をプラスして「はやおたかし」と名乗ることにしたのです。
 ただ、当時はライターに人材がなく、ある程度バラエティーに富んだ編集をするには、同じ名前で記事を書くわけにもいきませんし、興味のある者が多くいるかのように見せかけるため、別名も必要でした。
 そこで、編集者と小記事を書くときは「船田学」ー「ふなだがく」と読みますーと名乗ることにしました。この名前もいかにも実際に有りそうな名前です。しかし、これにもいわれがあるのです。決して適当に考え出した訳ではなかったのです。

2003/09/06
 久しぶりの更新です。内科的な体調不良の他に、整形外科的な不良も加わり最悪です。そんなわけで、中断してましたが、今日は久しぶりに意欲がわき、前回の続きをちょっぴり書きます。
 「船田学」の名前の由来は、当時大好きだったミステリー作家に「加田怜太郎」というのがいました。実はこの名前は、純文学作家の故福永武彦氏が自分の趣味であるミステリーを書くときに使用したペンネームで、アナグラムで考え出されたものでした。
 これは、自分の名前等をバラバラに分解し、別の組み合わせで新しいものを作るというもので、この名前は、「だれだろうか」をアナグラムで作成したのだそうです。この時候補に考えたのが「ふなだがく」すなわち「ふくながだ」のアナグラムで、あまりふざけているというので採用を見合わせたとのことでした。
 これをみて、日の目を見なかったこの名前が可哀想になり、いずれ自分が使ってやろうと思っていたものでした。この頃は、記事を書くことが自分に到来しようなどと夢にも思っていませんでしたが、ようやく使用するチャンスが訪れたわけです。この名前の由来は、OLDIESとは関係ないことなので、これまで誰にも明かした記憶はありませんので、いわゆる本邦初公開みたいなもんです。
 こうして、二重人格を自ら演出しながら記事を書くことになりました。今でも、自画自賛したくなるのが、この二つの名前での対談コーナーなんですね。後から読んでも、我ながら良くできてると思い、ホントに自分は二重人格ではないかとの疑念すら抱くほどでした。
 「速尾高志」はSurfin' & Hot Rod Musicに全力投球し、「船田学」は息抜きなど別の目的に使用していました。もう一つ使ったのは、当初仲間だった「江戸井黒蘭」氏にちなんで「馬出井堀猪」というのを使いましたが、これはいかにもそれらしく、一回で終わりました。他に「今ピュー太」という人もいました。これは別途実在した人物です。
2004/07/09 初のOldies人気投票
 Back To The Rock誌を刊行する以前、仲間たちと行ったことで記憶にあるのは、東京にある大手レコード店が顧客用に不定期に発行していたパンフレットにオールディーズの記事を載せることでした。内容はというと、全国のマニアが人気投票を行いBest何曲とかいったランクを発表することでした。
 当時は、オールディーズという言葉すら一般社会には通じない時代でした。こんな時によく記事を載せてくれたものだと思います。さて、人気投票はできる限り実在の興味があるという人物を、通信でかり集め実施されました。人数は協力者を含め20数人程度だったと記憶してます。ところが、実際のランクを集計してみると、人数が少ないこともあってか、非常に偏ったものとなってしまいました。
 マニアックなものではなく、普通にランク付けすると、当然大ヒットしたとか、有名なアーティストの曲であるとかが上位に来ると思われましたが、何と極めてマニアックなものになってしまったのでした。
 そこで、編集者としてはてこ入れが必要になり、実在はするもののオールディーズに興味がない人に名前を貸してくれるよう依頼して、その人物の投票は我々の独断で決め、どうしても上位にしたい曲を投票し調整したのでした。
 これは、私ひとりでごり押ししたのではなく、仲間の話し合いで決められました。残念ながら、そのパンフレットの現物は、私の家の押し入れ深くしまい込まれており、出すことが現在できないため、内容まで書くことができませんが、人気が高かったのは、Jack ScottのCry, Cry, Cry、Royal TeensのBelieve Meなどでした。当然、私の一押しであるThe RivierasのCalifornia Sunも上位になるよう調整されました。
 それでも、あまりにも極端だった実際のランクを調整した結果、みんなの反応は上々だったと記憶しています。
 この、パンフレットに記事を載せるという話は、当時の仲間に結構営業センスがある者がいて、その者がとってきた話でした。その者の名前は忘れてしまいましたが、本誌を刊行した後もしばらくの間、営業に歩いてくれて、いくつかのレコード店で販売してもらえるよう交渉し、実現にこぎ着けてくれたものでした。
 私自身も、契約が成立した後の売上金や売れ残り品の回収とか、新しい号の継続契約など営業に歩いたものです。
 こうして、こつこつとその努力は続けられ、次号を出版するための資金を確保し細々ながらも、ある程度の期間出版は実現されていました。
2004/07/29 Angel Talk
 Pat BooneのAngel Talkの日本盤シングルを探し出したとき、我誌Back To The Rockの最終号を見つけました。手にするのは、いったい何年ぶりのことでしょうか?
 あらためて見てみると、総ページ数156ページ、A4版、表紙はビニールコーティング、デザインはいまいちですが、渾身の一作になっていたなあと今でも思いますね。このうち自分が担当したページは何と68ページにも及んでいます。我ながらよくやったものだと感心せずにはいられません。
 そして、しばらく休刊しますと宣言しながら、永久に?などという記述も見られ、結局復活することはありませんでした。このような作り方の雑誌は、今後二度と現れることはないと断言できます。それはなぜか? それは、印刷の版下を全てタイプライターで作成していたからなのです。
 当時、ワープロなどというものはありませんでしたから、日本語は和文タイプライターで活字を一個ずつ拾ってインクリボンを使用して打っていくのですが、この作業が非常につかれるのです。お金がないので、原稿書きも写真も全て自分で作成するのです。
 現代ならば、こんな苦労をすることもないでしょう。もっとイージーに版下が作成でき、しかもキレイになります。ですから、内容も含めて苦労に苦労を重ねて出版にこぎ着ける、などといった状況は二度と生じることはないといえる訳です。
 しかし、苦労したからこそ、その情熱はもの凄く燃えさかっていました。そして、明日のジョーのごとく燃え尽きたのでした。
 相棒の神谷氏は病気になってしまい、情熱は燃え尽きてしまい、生活に追われ、続けていくことはほぼ無理な状況でしたね。最終号の発行は、'80の10月でした。この頃、私はビデオデッキを購入し、興味の対象がテレビをビデオにとることに向かっていきました。また、音楽シーンも'80〜'85頃までは、新しいモノにいい曲が多く、ビデオのすばらしさに、しばしうつつを抜かすことになっていったのです。
 現在においては、デジタルに対する信頼性は以前ほどなくなってきています。映像の分野ではまだこれからですが、音声については総合的にみて、CDよりもアナログ・レコードの方が音質も良く、保存性もいいことが実際に経験して確認できました。久しぶりに、40年前のレコードを出して、WAVファイル化をしていますが、当時と全く同じ状態で保管されていました。再生についても、何の問題もありませんでした。
 これが、CDになるとドライブが読み込まなくなる、といったトラブルに巻き込まれる可能性が、非常に高くなるのです。資料についても、紙による保存は場所はとりますが、何百年も保存可能です。今、場所のことを考えデジタル化して保存することが盛んに行われていますが、データ消失のリスクは非常に高く、必ずバックアップを複数取っておくことが必要で、それも万全とはいえない状況なのです。
 それでも、自分が死んでしまえば、後はどうなろうと知ったこっちゃないし、そろそろその年齢に近づきつつあります。物として存在している、これらの財産の行く末を思うと暗澹とした気持ちになります。いずれは......。
 だからこそ、大切にしなくてはならないのだという感覚も強くなってきています。
 まあ、普通なら今すぐ死ぬわけでもないので、しばし青春の想い出に浸りながら、記録を残していきたいと思っています。
2005/06/10 創生期のメンバー
 このページもサッパリ更新ができないでいます。何と前回から一年近くも経とうとしています。更新できなかった理由としては、このところの病魔との闘いが最も大きな理由ですが、題材が思い浮かばなかったことも事実です。
 しかし、体調も漸く一段落しつつあり、突然今のうちに書いておきたい題材を思いついたので、久しぶりの更新としました。
 私が相棒の神谷氏と共にBack To The Rockを創刊する数年前に開催したイベントであるOldiesの人気投票は、それまで文通や口コミ、友人の輪からの広がりなどで知り合った全国のOldiesファンから寄せられたベスト・ランキングを元に実施されました。
 メンバーとなった人たちで、名前を覚えている範囲で列挙してみたいと思います。
 北から順に、札幌の五里守氏、秋田の工藤氏、富山の寺崎氏、金沢の三井氏、辻氏、大阪の宮下氏(故人)、神戸の広岡氏、福岡の山本氏、東京の鈴木氏(プロの評論家として活躍している鈴木啓志氏のこと)、知人の横山氏(イラストレーター湯村輝彦氏の友人)、浜田氏(出身は金沢)、そして神奈川の仲間達、神谷氏、渡辺氏、宮治氏など、創生期に協力してくれたメンバー外、私を含めて約20名ほどの参加でした。
 この後、(Eddie &) The Surf Beatsの名前でアマチュア・バンドとして活躍した高橋氏などが参加、現在でもホボプロとして活躍しているThe El Caminosの宇賀田氏が参加するのはしばらく後のことでした。
 彼等のうち、現在でも消息が分かっている人は、神谷氏、三井氏、工藤氏、宇賀田氏くらいのもので、他のメンバーは鈴木氏を除けばまったく不明です。みんな年を取ってしまったし、果たして元気でいることやら......。
2005/11/17 未聴盤との遭遇
 かつてレアな曲を紹介するために、Back To The Rock に設けていたページです。初期の頃は創生期のメンバーの「江戸井黒蘭」君も参加してましたね。後期は私こと「船田学」と神谷君「神谷誠一」の二人で手分けして記事を書いていました。
 レコード・レーベルの写真撮影は私が担当、それにしてもこの撮影も結構大変でしたよ。雑誌の写真はモノクロですが、原盤はカラーですから、写真に焼き付けたときに文字がよく見えなかったりするので、絞りをいくつか変えて撮ってみたりしてね。
 アーティスト名等のタイピングも私の担当で、タイプライターもカッコイイ文字のものをわざわざ取り寄せて購入したりしてましたね。この文字の種類は何ていったか忘れてしまいましたが、今見てもなかなかカッコイイ。PCで再現できればなあと思ってます。
 それにしても、このときから既に20年以上の時が経過している訳ですが、未だに未聴盤が沢山あるんですよね。代表的なのが、Teenage Dreams シリーズ (CD)でしょうね。まあ、収録曲のほとんどがそれほどいいものとはいえないのですが、何十枚かの CD の中にこれは!!という曲が少しはあるんですよ。尤も、全国的なヒットはしていませんけどね。
 所謂、オールディーズらしい曲が出たのは、長くみても'58〜'63でしょうか。この6年間に、名作のほとんどが産まれています。ヒットしないものも含めれば、何枚のレコードが出たことでしょう。
 今、明日にでも死ぬかもしれない歳になり、また、健康ならば何十年も生きられる歳でもあり、果たして死ぬまでに未聴盤というのがなくなるんだろうか? とフト思いました。なくなった方がいいのか、そうではない方がいいのか? 迷うところです。


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