初心者の頃

2003/11/30 再開
 このページも更新が途絶えてから久しい。しかし、初心者の頃の気持ちは未だに忘れてはいない。あれほどの苦労を味わったからこそ、今の自分が有るわけだし、むしろ試練を与えてくれた、Windows98SEに感謝しているくらいだ。不安定だからこそ、バックアップの必要性の重要さを思い知らされたし、カスタマイズの必要性も学んだ。
 もし、PCを今買ったとしたら、恐らく何の進歩もなくインターネットをしたり、CDやDVDを作成したり、ゲームをしたりして遊んでいただけだろうと思う。現在のOS、WindowsXPは出始めの頃こそ不安定だったものの、それはハードとの相性問題であったし、SP1によってさらに相性問題を生じさせたものの、その後のUpdateを重ねながら徐々に安定化してきた。
 現在では、もう2000に戻ろうとは思わないほど安定している。もっとも、トラブったときの扱いにくさは9x系のOSよりも厳しいものがあるが、普通に使っていれば、まずトラブることはないであろう。
 したがって、使用者が自らシステムやハードについて勉強できる機会は、かなり減少してしまっていると思う。それがいいことなのかどうかは、何ともいえない。ちょうど人に与えられた人生の試練に似ており、なければいけないかもしれないが、本音としては何事もなく人生を送りたいのではないだろうか?少なくとも、過大な試練のあまりつぶされてしまうよりはいいのでは、と思う。
 試練に耐え抜いた人は、成長するわけだし、成長無くして人生はあり得ないと思うことだろう。果たしてどちらがいいのか、恐らく完全に理解することなど不可能なのだろう。たかが、PCというなかれ。これほど、私にとって重要な位置を占めてしまったPCは、この先当分の間は私の良き伴侶となることだろう。
 ところで、前回までの記事を読み返してみて、その後起きたことはあまりにもたくさん有りすぎ、時系列を追って書くことは困難になってきているので、思い出しながら続けていきたいと思う。
 バックアップの重要性を知り、そのアプリ「HD革命」を購入してからが、また大変だった。そのころはHDの容量はわずか10GBだったから、少なくともCドライブの容量を5GB以下にしておかなくてはバックアップできないことに大きな問題があった。これではモノスゴク使いにくい。
 そこで、このころはまだ高価だった、外付けHDDを購入することにした。しかし、外部用インターフェイスは低速なUSB1.1のみの環境だったから、それもかなわなかった。高速な外部用インターフェイスはSCSIのみで、それは必ず増設を必要とし、しかも当時は極僅かなロープロファイルであり、それ用のSCSIボードは存在しなかった。
 しかし、モヤモヤとしていたある日、ついにロープロファイル用のSCSIボードが販売されているのを見つけたのだ。ついに出たか!!という何ともいえない気持ちで、早速このボードと30GBのSCSI外付けHDDを購入したのであった。
2004/01/06 外付けHDD
 無事取り付けも終わりこの後したことは、分割したCドライブにはアプリはインストールせず、Program FilesフォルダをDドライブに作成し、バックアップのためCドライブの容量をいかにして少なくするかということに全力を傾けたのである。容量を減らすとバックアップを複数保存ができるので、何かあったときの保険のつもりである。
 この外付けHDDを取り付けることによって、これまでの不具合とは完璧にオサラバできると思っていた。ところが、復元そのものは失敗することはほとんどなかったが、OSが完全に起動しない状態から復元するには、復元用FDを作成する必要があった。しかも、それにはWindows起動FDが必要だったのだ。
 しかし、FDDを内蔵せず外付けUSBFDDからシステムをブートしたり、CDからのリカバリーしか考えていないようなPCのFDDではこのディスクが作成できないのだった。なんたる欠陥PCか!! そこで仕方なく他のPCで作成した起動FDで作成することになった。もし、このときこの欠陥PCしか家になかったとしら......そう思うとぞっとするね。
 それでも、それまでの窮屈なバックアップ生活とは比べものにならないほど、そう目から鱗が落ちるという位モヤモヤしたものから解放されたのだった。このときのPC内蔵10GBHDDと外付けSCSIHDDともに未だ現役である。一気に目の前が開け、不具合をわざと発現させることによって、トラブルにどう対処すればよいかの実験を何度も行うことができ、PCの知識もドンドン増えていったのだ。
2004/01/08 USBとSCSI
 それにしても、遅くて不安定なUSB(1.1)しか搭載されていない我がPCにとって、確かにSCSIは高速で安定していた。しかし、接続ケーブルが太いことと、あまり長く出来ない点が不満であった。導入時の、今だったら笑えるようなトラブルもあった。せっかく購入し接続したのに、最終接続機器にターミネーター(!!)なるものを取り付けなければならないのにドライブに同梱されておらず、またショップへ買いに行かなければならなかったことだ。何たる不親切!!
 狭い我が家にとって、外部接続機器のケーブルが短いことはかなりつらいことだった。そこで待ち望んだのは、発表されたばかりのUSB2.0であった。今ではこんなインターフェイスはとんだ期待はずれだったと思っているが、当時はまだかまだかと首を長くして出るのを待ち望んでいた。しかし、それには遙かな道のりが必要だった。
 USBはSCSIのコンバーターがあるので、USB2.0が出たらこれを使えば今使っているSCSIも無駄にならないし、早く出ないかなぁーと思いながらも、情報は芳しくないものだった。最大の問題は、Microsoftが新OSではサポートしないと発表したことだった。競合するインターフェイスであるIEEE1394(別名i-LinkやMacのFireWire)が、性能は申し分ないのにライセンス料の関係で普及が遅れ、これに対抗して発表したはずのUSB2.0を、なぜ開発者の一人であるMicrosoftが導入を急がなかったのか非常に疑問であった。発表されたその理由もとってつけたようなもので、いつになったら快適で使いやすい転送速度が自分のPC環境に訪れるのか、状況は混沌としていた。
2004/01/17 USB 2.0
 2001〜2年の頃は、よく AKIBA へ行っていた。最寄りのヨドバシカメラには、この頃PCパーツ関係はあまり置いてなかったからだ。大物は13%のポイントが有効で(現在は10%に下がったが、新装記念という特別ポイントだった)、 AKIBA へ行っても結局物だけ見て戻ってきて、ヨドバシカメラで購入することが多かった。
 しかし、小物はやはり AKIBA が豊富だった。得体の知れない物、胡散臭い物などかつてのオーディオ・パーツを彷彿とさせる物がある。そんなある日、定番の小店舗巡りをしていて思わず目を見張った。出たのだ、待ち望んでいた USB 2.0→UltraSCSI の変換器が!!
 小躍りして早速購入した。これで、USB 2.0 拡張ボードを取り付け、UltraSCSIのHDDをつなげば、現在の環境のまま USB 2.0 へ移行できるのだ。こんなうれしいことはないではないか!! この時は、後で USB 2.0 のトラブルが次々と襲ってくるとは、夢にも思わなかった。
 AKIBAからの帰り道、ヨドバシカメラでメルコのボードを購入した。箱の裏側に書いてある説明を読むと、訳の分からないことが書いてある。要するに、結局 Win98SE では使えるのか使えないのかサッパリ分からないのだ。そこには、おおよその意味でこう書いてあった。「Microsoftがサポートしていないため、WindowsXP以外では 2.0 として動作しません。2.0 として動作するにはドライバが必要となります。」
 何だって!! 使えない物を売り出してどうする気なんじゃあ!! と心の底で思わず叫んだ。
2004/04/05 遅い外付けUSBのHDD
 結局しばらくは様子見だった。この頃、この当てにならないボードを買った人が果たしていたものかどうか? しばらくするうち、ようやくドライバが添付され、98SEでも動作しますよ、とパッケージに書かれたものが発売された。やれやれ、やっとかの思いだった。先に購入していた私は、ドライバをDLして使用することができた。
 さて、期待に胸弾ませたUSB 2.0であったが、確かに1.1よりは早いものの、転送速度の理論値480Mbps(60MB/s)には遠く及ばないものだった。せっかく購入した「メルコ(現バッファロー)」の60GBのHDDをベンチマークしても、20MB/sのUltraSCSIよりも遅い結果となった。
 さらにショックだったのは、せっかく待ちに待って購入したUSB 2.0→UltraSCSI の変換器を通して接続したUltraSCSIのHDDも、直接接続した場合よりもかなり遅くなることが判明した。これでは使い物にならないではないか!?
 内蔵されたHDDはIDE接続のものだが、遅い原因がUSB 2.0→IDE変換チップの性能がよくないことにあると分かったのは、かなり後のことである。このときは、まるで詐欺にでもあったような感覚だった。PCパーツに詐欺はつきものであると気がつくのも、かなり後のことであった。
2004/04/22 USBのドライバ
 せっかくの目論見が脆くも崩れ去ったUSB2.0。遅いのはドライバが原因とも言われていた。何とか速い環境を手に入れようと、その後Adaptecのロープロファイル用のボードを購入した。メルコ(2ポート)と違い、外部ポートが三つあったのも理由の一つだったが、それよりも独自のドライバ開発に最も力を入れていたのが、Adaptecだったからだ。
 このメーカーはSCSIで保っているようなものだったが、SCSIの普及はボトルネックがあり、コンシューマー用としてはあまり進んでいなかった。そこで、これから普及しそうなUSB2.0に力を入れることとなったのだろう。結果的に、ここのボードの性能は悪くはなかった。また、メルコは2.0HUBに対応していなかったが、同社のHUBを取り付けることにより、使用可能となった。
 その後、ドライバも漸次アップが図られた。当初は1.1総ての周辺機器に対応していなかったが、途中から対応された。この頃使用していたマシンは、USB1.1ポートが四つあり、このうち二つをキーボードとFDDが使用していた。残りの二つにUSBスピーカーと1.1のCDRWドライブを接続しており、ポートの増設は必須だった。2.0はHDDと更に増設したCDRWドライブなどの接続のため、外部ポートはどうしても三つは必要だった。(ダ)メルコのボードは取り外し、しばらくはAdaptecの3ポートボードと4ポートHUBによつて、ようやく不足することはなくなった。
 2.0のCDRWもメルコだった。(ダ)メルコとパワーユーザーからののしられようとも、手軽に入手でき、他のメーカー、I-O DATAやLogitecより価格も安いので、結局このメーカーのものが多くなった。しばらくの間は、この環境で少しは落ち着いた状況が構築されていった。
2004/04/23 OSやインターネットの進歩
 OSはその後NT(NewTechnologyの略)系のWindows 2000 Professional(Windows XPと異なり、Home Editionなどというものはない)、Windows Millenium Edition(通称、MEまたはMe、エムイーと読むが、Microsoftは当初、ミーと読めといっていた)がリリースされた。Meは98SEとさほど内容的には変わらず、2000は対応ドライバやアプリの少なさに大きな問題を抱えており、OSをグレードアップすることなど考えてもみなかった。
 それにしても、我が98SEはトラブルが絶えず、それを回避する有効な手段を模索する日々が続いていた。インターネットの接続環境はダイアルアップで、料金が恐ろしく接続時間を表示するアプリを入れ、常に時間を監視しながらのネット環境だった。今からは考えられないほど、劣悪な環境だった。
 インターネットの最大の問題は、料金のこともあったが、接続中は電話が使用できないことにあった。それを回避するものとして、NTTがごり押ししていたISDNというものがあり、これは接続速度はさほど変わらないものの、同時に電話が使用できた。しかし、回線をデジタルに変更しなくてはならず、電話番号が変更されてしまう、料金は安くはない、などのデメリットも多く、乗り換えるだけのアドバンテージはなかった。
 その後、CableTVが接続サービスを開始し、こちらはつなぎ放題で料金もまあまあというものが広まりつつあったが、導入にかかる工事費が高いこと、私が住むマンションでは工事はほぼ絶望的で、導入は無理だということが判明していた。この頃、ADSLという期待の大きなサービスが開始されようとしていたが、この導入を遅らせた元凶は、誰あろうNTTだったのだ。
 せっかく大金をかけて開発したISDNをごり押しするため、ADSLに対する批判に終始していた。お隣韓国が、日本より先にADSLを導入し、ブロードバンド大国に進化していったのに、日本ではNTTの横暴により、インターネットにおける後進国に成り下がってしまった。
 また、一般教育の荒廃により、企業経営者のモラルが低下し、優秀な技術や技術者が海外に流出していき、バブル崩壊後の日本経済の復興に暗い影を落とすことになったことは、記憶に新しい。インターネットが日本でここまで広まったのは、イーアクセスやアッカなどがADSLサービスを開始し、さらにヤフーBBが格安料金をもって、ネット業界に殴り込みをかけたことによることは、誰も否定できないだろう。
 これらの出来事に対し、何ら方策を講じなかった国およびNTTの責任は重大である。にもかかわらず、相変わらず無能な政治家や経営者が排出し、労働者の聖域であった賃金を下げ、果てしない目先だけの解決にしか結びつかないリストラが横行し、日本は暗黒の時代に突入していった。社会の出来事は、目を覆うようなことばかり報道され、日本は遠からず沈没してしまうことが予測された。
 我がマシン環境も、度重なるトラブルで、毎日が暗黒だった。出口を求めてさまよい歩く、迷宮の住民だった。地獄から抜け出すための蜘蛛の糸にすがりつく、情けない人間だった。その暗黒の中で、得たテクニックはおおよそ雑誌の情報から得た。各種雑誌を、昼休みに毎日書店で立ち読みし、重要な情報が載っていたら即刻購入し実践するという毎日だった。
 その中で、9x系OSではかなりの特効薬となるテクニックをいくつか得ることができた。これらのテクニックを駆使することで、何とか地獄からはい上がることができた。次回は、そのテクニックをまとめてみることにしたい。
2004/09/10 リカバリー
 目から鱗が落ちる、という表現がある。〔新約聖書使徒行伝九章から〕あることがきっかけとなって、迷いからさめたり、物事の実態がわかるようになる、という意味だが、そのような情報を知り、愕然とすると共に、まさに目から鱗が落ちる様な経験をしたことが何度かあった。
 その代表的な情報のひとつが、レジストリーエディターのメニューにある「レジストリーの書き出し」というものだった。9x系のOSは通常モードで読み込みもできたので、調子がいいときのレジストリーを日にち付きのファイル名にして、ほとんど毎日バックアップしていた時期があり、また、これに救われたことも何度かあった。XPでは「レジストリーのエクスポート」というメニューに名称変更されている。
 そうはいっても、やはり確実なバックアップはHD革命によるものだった。これがなければ、一体どうなっていたことか? NT系の環境では失敗することが多く、使えなくなってしまったのは残念でならない。
 次に、もっと鱗が落ちたのは、OSの上書きインストールというものだった。PCに対するスキルは、リカバリーの回数に比例してアップする、とよく言われている。現実に、本当にリカバリーしたことは、98SEの頃30数回にのぼる。
 メーカー製のPCでリカバリーする方法は、メーカーによって異なり、私の日立はNorton Ghostを使用したリカバリーディスクが付属しており、このディスクで起動するとほぼ自動的にリカバリーされた。単にこのディスクでリカバリーするのは、それほど難しいことではない。しかし、メンテナンスによる修復に手を尽くし、万策尽きてリカバリーする訳だから、重要なのは、そこまでの経過が自分にとって知識の肥やしになることにあった。
 さて、この上書きインストールというのは、リカバリーディスクでリカバリーする一歩手前の、所謂最後の手段と呼ばれていた方法だった。
 (以下、続く)
2004/09/12 有効なDOSコマンド
 このOSの上書きインストール方法というのは、ある雑誌の片隅に載っていた。これを何気なく見たとき、何だって!!そんな方法があるのか?!PCのマニュアルのどこにも載ってないぞ、そんなこと!!、と愕然としたものだ。
 私のPC1号機、今ではSubPCと表現しているが、当然メーカー製でOSのCD-ROMは付属しておらず、リカバリーディスクが付属していた。しかし、リカバリーしたのでは現在の環境がリセットされてしまう。散々苦労して築き上げた、現在の環境を失うのはどうしても耐えられなかった。
 OSをクリーン・イントールできる環境は、この時点まではないものと思っていた。それが、この情報によればできそうな予感がした。早速、この雑誌を購入して、帰宅後試してみることにした。
 当時の私のスキルでは初めての出来事で、期待と不安が胸の中に渦巻いていた。念のため、HD革命でのバックアップを怠らず、この初めての操作に挑戦したのだった。
 その方法とは、次のようなことだった。
 Windowsの起動ディスク(FD)で起動する。私のPCではFDがインストールできないため、作成することができないので、娘のノートPCで作成した物を流用することとなる。
 起動すると、真っ黒い画面に文字のみが現れる。まるで、ゲームのダンジョンの中にいるような気分だ。メニューに従い、操作を進めていくと、最終的に次のような状態になる。所謂DOSの環境である。
 古くからPCの操作に慣れた者にとっては、さほど珍しいものではないだろう。しかし、GUI(Graphical User Interface)での操作しか知らない者にとっては、ダンジョンの中を彷徨う住人のごとしだった。それは..........
 A:\>
 のたったこれだけ。この状態に一体何をしろというのだ?
 ここに雑誌で得た情報のコマンドを入力するのである。そのコマンドはC:\Windows\Options\Cabs\Setup.exeであった。
 入力すると当然、A:\>C:\Windows\Options\Cabs\Setup.exeとなる。この状態でEnterボタンを押すのだった。
 (以下、続く)
2004/09/13 マルチブートに挑戦
 このコマンドは後に、C=2000, D=XP が入った状態のEドライブに、Meをインストールするのに役立つこととなる。
 さて、Enterボタンを押すと一瞬のタイムラグがあり、DOS環境によるスキャンディスクが始まった。このとき接続しているHDDが多いと膨大な時間がかかったり、Cドライブが正しく認識されなかったりするトラブルに遭遇することになるが、それは後で経験することで、この頃はCとD、そして外付けSCSIのEだけだったので、それほどでもなかった。SCSIHDDの電源を切っておけば良かったと思ったが、今更変更もできないし、そのままスキャンディスクが終わるのを待つ。
 無事終了すると、何と初めてのOSインストール画面が現れたのだった。画面の解像度は低く、セーフモードで起動したときより若干いいかなという感じ。おお!!これがそうなのか...ドキドキ・ワクワク...。
 表示された所用時間は約30分くらいであった。後に散々経験するOSのインストールであるが、NT系よりもかかる時間は少ない。インストール作業に退屈しないように、OSの説明が画面に表示されていた。この画面も、何度か経験するとかったるくなってくるが、初めての経験では、何もかもが新鮮な驚きだった。
 インストールが終了してもそれで終わりではなく、再起動を強いられるのだった。再起動後、最後の仕上げ画面が現れた。このときに各デバイスが自動的にインストールされ、インストール先のドライブやIDナンバーの入力画面などが現れたが、インストール先はCドライブ以外には設定できず、強制的にスキップされ先に進んだ。この経験から、OSはCドライブ以外にはインストールできないものと思いこんでしまったのだった。
 後から思えば、インストールの設定がメーカー製の場合、既にデータが書き込まれており、選択画面がスキップされたのだが、MicrosoftのインストールCDなら、選択することは可能だったのだ。このことが、後に同じ9x系OSであるMeをEドライブに入れたいが、できないものと思いこむ原因となったのだった。
 最終的なインストールが終了すると、また再起動を求められる。ほんとに多いよね再起動って。スペックが低いPCって、再起動も時間がかかるような気がするので、やっぱりかったるい。とは言っても、OSのインストールだから仕方ないか。
 いよいよ、初めてのリカバリー以外のインストール結果が出るのだ。固唾をのんで、起動するのを待った。そして、無事起動し、不具合が解消されたのを確認したとき、やった!!と叫ぶのだった。
 このときは鬼の首を取ったような気分だった。しかし、そんなに甘いものではないことを、この後試したいろいろなことで、思い知らされることになるのだが、とりあえず、重大なことを成し遂げた満足感でいっぱいだった。
2004/09/14 再びDOSコマンド
 首尾良くOSの上書きインストールに成功した。そして、不具合もほとんど解消された。これは、まさに伝家の宝刀ではないか?
 ここで勘のいい人ならすぐ気づくと思うが、この方法を利用すればOSのクリーン・インストールができるのではないかということだった。それで、早速試してみることにした。
 なぜクリーン・インストールしたいかというと、リカバリーしたての頃は実に調子が良く、その後アプリやドライバのインストール、Windows Updateなどで徐々に遅くなってくることが実感されていたから、少なくともリカバリーでメーカー製PCにありがちな、余計なアプリを積まない最小構成のOSで、環境を構築した方がいいのではないかと思ったからだ。
 しかし、これを実行するには、一度Cドライブをフォーマットしてしまう必要があった。当然OSが自分自身でフォーマットすることはできないので、DOSで起動しダンジョンの中で操作することとなる。
 さらなる問題は、インストール用ファイルがCドライブに入っていることである。そこで、このファイルをDドライブにコピーし、DOSで入力しやすいように適当なフォルダを作成し、その中にOptions\Cabsの中身をコピーするのである。
 そうすると、今度のコマンドは例えば作成したフォルダ名を9xにすれば、
 A:\>D:\9x\Setup.exe
となるはずである。フォーマットは、A:\>format c:である。フォーマット完了後、セットアップ・コマンドを入力すれば、OSのクリーン・インストールが完成するはずだ。
 予定の行動が決まれば、後は実行あるのみだ。万が一失敗しても、HD革命のバックアップさえあれば、何度でもやり直しができる。操作自体は上書きとほとんど同じだから、フォーマットさえうまくいけば、待望の純粋Windows 98SEの環境ができあがるのだ。もう、いてもたってもいられないではないか?
 それでは、実行に移るとしようか。ところで、時間はどのくらいかかるのだろう? 今日は何曜日だっけ?
 とか何とか、結局その日が何曜日だったかなんて、もう覚えてないので、実行した結果からいうと、初めてのフォーマットはかなりシンドイ作業だったこと、インストール自体は成功したものの、結局失敗だったことに気が付いて終わったのであった。
 その失敗の理由とは? それはまた、次回に。
2004/09/15 レジストリーの修復
 せっかくうまくいったと思ったWin98SEのクリーン・インストールは、ハードのドライバをOSが持っていないため、起動はしたものの正常に動作しないのであった。
 特にディスプレイが正常に表示されないのは最も痛かった。この頃は、ハードのメーカーを探し回り、ドライバを入手しようなどと考えてもみなかったから、この目論見は敢えなく挫折したのであった。
 他に正常に動作しないものも有ったかもしれないが、そんなもの調べても肝心のディスプレイがこれではどうしようもない。諦めて、元の環境に復元したのだった。
 後に2000を娘のPCにインストールしたときも、ディスプレイ・ドライバの問題が生じ、この経験が生かされた。2000もドライバの問題を多く抱えたOSだったからだ。
 現在では、メーカー・サイトへ行くと対応ドライバが出ていれば入手できることを知っているので、再度クリーン・インストールできる可能性は高いといえるが、まともに動かないハードが他にもあるとしたら、それを探すのもしんどいことだった。
 そうか、リカバリー・ディスクには対応ドライバが入っているはずではないか? これを何とか流用できれば、クリーン・インストールもうまくいくのではないか? などと、考えられるようになったのは、大部後のことである。
 この頃は、まだそんなスキルは身に付いていなかった。しかし、これら一連の操作のおかげで、DOSの操作も多少覚えられたことだし、何事も貴重な経験だったといえる。
 次に有効なテクニックだと思ったのは、レジストリーの修復であった。こちらはDOSではなく、OS起動時にコマンド・プロンプト・オンリーというメニューで起動し、独自のコマンドを入力するのだった。
 電源オンの後、メーカーのロゴが表示され、その後BIOSを読み込む画面になる。この画面に切り替わったときにすぐCtrlボタンを押しっぱなしにすると、起動メニューが表示される。ここで、先ほどのメニューを選択すると、起動ディスクで起動したときのようになるが、HDDで起動しているので、C:\>と表示された。
 そしてそのコマンドは、scanreg /fix, scanreg /opt, scanreg /restore の3種類だった。この中で、最もお世話になったのは、scanreg /fixというレジストリーの修復コマンドだった。大抵の不具合は、これ一発で直ったものだ。そして、たまにはscanreg /optを実行する。これは、レジストリーを適正化してくれるコマンドだった。
 それにしても、9x系のレジストリーは、NT系に比較して、ずいぶんと壊れやすいもんだと思ったのは大部後のことである。
2004/12/16 Norton Utilities (1)
 最近ではWinXPで市販アプリが全滅してから不信感に陥り、全くと言っていいほど買わなくなった。しかし、当時はヨドバシカメラへ行き、何か有用なアプリはないかと探すのも楽しみのひとつだった。
 その中で現在でも使い続けているのが、Norton Utilities(以下、NU)である。もっとも、現在はNorton AntiVirusと統合されたNorton SytemWorksだけど。NUは9x系OSでは、Speed Diskも有効で、もっとも重宝したのがWinDoctorであった。
 Speed Diskの技術は簡略化されたものが、デフラグとして9x系OSで採用されており、OS標準よりも高機能であったが、かけすぎのためHDDが丸ごとイカれてしまうというアクシデントに見舞われてから、恐ろしくて使えなくなってしまった。一方WinDoctorは、壊れやすい9x系のレジストリーを簡単に修復してくれる、実に有り難いものだったのだ。
 いろいろとOSを操作していると、レジストリーに不正なデータが増えてくるので、よくWinDoctorのお世話になったものだ。あるとき、大量に作成したショートカットが存在する環境で、リンク先のアプリを丸ごとDドライブに移動したことがあった。
 なぜそんなことをしたかというと、野放図に入れたい邦題に入れたアブリのため、Cドライブの残量がほとんどなくなってしまい、追加したアプリを削除するのも嫌だったので、C:\Program FilesをそのままDドライブに移してしまったのだ。
 これは、初心者が必ずと言っていいほど遭遇するトラブルのうちのひとつで、単体で動作するアプリ以外に対しては、まさに自殺的な行為である。当然Program Filesに入っているものの中には、OSとして重要なものもあり、決して移動してはならないものが多く含まれる。しかし、初心者はそのことが分からないから、平気で移動してしまう。そして、アプリが起動しなくなったと騒ぐのである。
 私もこの轍を当然踏んだわけだが、起動しないアプリの存在に気が付く前に、大量のショートカットのアイコンが全部真っ白になり、目の前は真っ黒いや真っ暗になってしまったのだった。HDDの容量のことを考えると、何としてもDドライブに移動したい、しかし、そのままでは使えない、何とかならんものかと思案に暮れたのだった。
2005/01/03 Norton Utilities (完)
 思案の結果、NUのWinDoctorを起動してみた。すると、何と約3000もの不正が検出されたのだった。この頃は、不正が検出されると特に何も考えずにそのまま修復していた。後に、それでは不具合が生じることがあるということも経験した。この不具合は、かなり致命的なもので、場合によってはOS再インストールか、最低でもリカバリーを必要とするものだった。特に、WinXPになってからは迂闊に全修復は出来なくなったが、9x系の頃はほぼ全てお任せで修復して問題はなかった。
 さて、この3000もの不正のうち、ショートカットの不正がかなりの割合を占めていた。そして、この不正が修復されることによって、真っ白になったショートカットはほとんど元の状態に戻ったのだった。こいつはスゴイアプリだ!!と心底惚れてしまうほどのインパクトであった。
 ところが、これだけでは起動しなくなるアプリが多数あることが判明した。市販のレジストリーを複雑に使用するものは、この方法で移動することは出来なかったのだ。
 その後、C:\Program Filesを完全に移動することが出来るアプリはないか探し、ようやく見つけたのがFolder Moverというものだった。このアブリがいかに凄いかは、IEまでもDドライブに移動できるということで実証されたのだった。
 移動の方法は、要するにファイルを移動すると、自動的にレジストリーも全て書き換えてくれるというものであった。そのため、レジストリーの数が多いものは、移動にかなりの時間がかかった。しかし、IEというOSとは切っても切れないものまで移動可能なこのアプリは、本当にもの凄いものだと感激したのであった。
 しばらくの間、D:\Program Filesという環境で何ら問題は生じなかったが、ネットの友人が、アプリはCに入れないと十分なパフォーマンスは得られないとしきりに反対してきた。もちろん、HDDの容量さえ多ければこんな無理なことはしなくてもいいに決まっている。
 それで、ついにHDDの交換を考えることに至ったのだった。このとき考えていたのは、交換後、HD革命のバックアップから復元すれば、簡単にHDDの換装が出来るのではないかということだった。それよりも心配は、HDDを物理的に付け替えるという作業そのものがうまくいくのかということにあった。
2005/01/07 SubPCのHDD換装 (1)
 ところで、ヒマを見て各ページの過去の記事を読んでみたら、NUFolder Moverに関しては大部重複してたことが分かりました。書き直すわけにもいかないので、その点はご容赦ください。
 Folder Mover は、これまでの経験から当然オンラインのページで紹介してもいいほどのアプリでした。しかし、なぜ紹介していないかというと、失敗したときのリスクが大きすぎ、少なくとも復元機能を持たない98(SE)や2000のユーザーにはとてもお薦め出来なかったからです。
 また、私自身も試したのは98SEのみですし、他のOSで実験するのは危険であることと、HDDが大容量化出来た現在メリットがほとんどなくなってしまったからです。しかし、このようなコンセプトを実現していたものは、知る限りではこれしかありませんでしたので、オンラインアプリの歴史に名を残してもいいかなと、私の経験史に記すこととしたものです。
 さて、SubPCで初めてHDDの換装をすることになったのですが、幸い職場の知人に聞いたところ可能であるとの情報を得られたので、早速アキバへ行くことにしました。この頃は、まだ7200rpmのものが出たばかりで発熱も大きく、SubPCの様な液晶一体型で内部の空間が少ないもので使用するのは好ましくないと思われましたし、自分のUltraATAがどのモードになっているかも分からない状況では、最新のものを購入するリスクは大きいものと判断し、価格と容量とのバランスを考え、Seagateの5400rpm、40GB、UltraATA100を購入することにしました。
 SubPCに搭載されていたものは、QUANTUMのFireballで10GBでしたが性能は一切不明です。PCのケースは、各種PCIスロットの増設などで何度も開けてましたから、特に臆することもありませんでした。それと、せっかくUltraATA100のHDDですから、この性能を引き出すべくIDEボードも購入しました。ものは、まだマニア向けとして出ていた「玄人志向」のものです。しかし、結果的にアキバで購入したこのボードは認識せず失敗でした。これは、RAIDが付いた物だったので、ドライバに問題があったものと思われます。そこで、普通のボードを追加購入し接続したところ、こちらは上手く認識しました。
 ただし、内部が狭く増設は無理だったので、QUANTUMを取り外しそこへ換装し、接続は標準IDEは空きにしたまま、増設したIDEボードに接続したSeagateにOSも入れることになったのでした。果たしてうまくいくのか、自信は全くなかったですね。でも、どうなるかの興味津々で、なるようになれと思っていました。OSのインストールは、当然HD革命からのリストアです。そして、その結果はというと..........。
 (続く)